No.071『サイレンス』

製作年:1998年
監督:モフセン・マフマルバフ
脚本:モフセン・マフマルバフ
ジャンル:かわいい系アジアン映像詩

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年末に色々忙しくてお疲れー状態なんで
素朴なアジアン美少女を眺めてほっこり癒されようかと

イランのアート系映像作家、マフマルバフ監督作品。
アート系でもメケメケじゃなくて中央アジアの香りたっぷりな映像詩です。
この手のポエムなミニシアター映画にしては粗筋がつかみやすくて、前衛系が苦手な方にもおすすめ。

★あらすじ(青字はネタバレあり

イラン人監督作品ですが、舞台はイランではなくタジキスタンらしい。
世界地図だとイランの斜め右上辺りにある。
イランとタジキスタンは何がどう違うのか、言葉は少し違うらしいがよくわからない。
実にいー加減な解説ですな。すみません。

10歳の少年コルシッド(タハミネー・ノルマトワ)は河べりの一軒家で専業主婦の母親と2人暮らし。
父親は戦争でロシアに行ったきり。兄弟親戚もいない。
学校に行かず伝統楽器の調律師として働き、弱冠10歳で家計を支えてるが(えー!)、大黒柱がいない家族はやっぱり貧乏生活で、「5日以内に家賃払わなきゃ追い出すぞ」と大家から宣告される。
そこで切羽詰まった母親は彼に言い聞かせる。
「楽器職人の親方にお金借りて来なさい」

でも10歳の子供が厳しい懐事情を理解する訳ない。
音に敏感なコルシッドは通勤バスに乗れば乗客の楽師が奏でる音楽に聞き入り、街を歩けば雑踏から聞こえる音色にインスピレーションを掻き立てられて夢中になる。
で道草するわ迷子になるわで結局毎日遅刻してばかり。

★見事に実生活の役にたたねえ天才音楽家

しかし素顔はお子ちゃまでも仕事場では「ムム…こいつは天才だぁ!」な能力を発揮すりゃいいんだが、これがまた上手くいかない。
確かに自然の音や街の生活音などあらゆる音に「音楽」を感じ取れるという天才的に鋭敏な耳を持ってるっちゃ持ってるが、楽器の調律仕事にあんまり興味無いのか、仕事がテキトーで依頼主から怒られてる。
もちろん貧乏暮らしや借金の話なんか道草途中で忘れてる。
楽器職人の親方は金を貸すどころかむしろコルシッドをクビにしようと考えている。

相当ディープに「ケツに火がついた」状況だがコルシッドは周りの声など気にとめず、今日も明日も理想の「音楽」を追い求めている。
その「音楽」が何故かベートーベン『運命』の「ダ・ダ・ダ・ダーン」だったりする。
なんで?
理由は謎だが天才の感性に響くらしい。

そんな彼の天才的感性を唯一理解してるのが、親方の家の居候人の美少女ナデレー(ナデレー・アブデラーイェワ)であります。

真っ赤なさくらんぼを耳たぶに引っ掛け、艶やかな民族衣装の袖から花びらを綺麗に貼りつけた爪をのぞかせて、コルシッドの音楽に合わせて踊ってくれる。
んまあ!かわいい

ナデレーはコルシッドがヘマしそうになると陰でフォローしてくれるんだが、でもコルシッドの道草癖はやっぱ直らず、ある日音楽を追っかけるあまり、大遅刻して親方の職場をクビになる。

★悲惨なんだがゆるやかにミラクルなエンディング

さすがに芸術肌の子供といえども「自分、追い詰められてる…」とそれなりに気付いちゃったコルシッド。
川のほとりで流しの旅芸人達と「芸術と生活」とか語り合ったりしてると、向こう岸から小舟がやって来た。
家財一式舟に乗せて家を追い出された母親だった。
うっそー。なんというシビア展開。
そんなぁーお母ちゃーーん!

結局、厳しい家庭環境が奇跡的に好転するミラクルハッピーエンドなんかなくて、母と息子は職無し家無しで街を去るという情け容赦ない結末しか待ってなかった訳だが、芸術映画ですから最後にミラクルが起きる。

すべてを失い街をとぼとぼ彷徨うコルシッドは、とうとう理想の「ダ・ダ・ダ・ダーン」の音を発見する。
すると街中の人々がにわか音楽家に変身、そこら辺の日用道具も極上の楽器に早変わり。
彼の指揮で街は至高の『運命』交響曲を奏でる。
コルシッドの芸術は遂に叶いました、というドリーミーなシーンで大団円を迎える。


★感想

あらすじは悲惨ですが不思議と癒しな映画。

中東アジアやイスラム圏というとベリーダンス、全身隠したマント、ケバブ、テロ、イスラム過激派、とかいう残酷でクドいケバいイメージを抱きがちですが
(我ながら発想が貧困にもほどがあるなぁ)
イラン映画・中央アジア諸国の芸術映画に限ると、むしろそういうイメージとは全然真逆で、淡く繊細で穏やかな光に包まれた世界であります。
イスタンブールやサマルカンドの建築美術とかどれも繊細で淡い彩りですもんねえ。

どのショットの構図も色彩も計算し尽くされてるが、「アートだ!映像美だ!」とこれみよがしに圧倒させる作風じゃなくてスイートナチュラル系。
ふんわり夢見心地な気分になります。

徴兵された父、働けない母、学校行けない勤労少年、等々の世情を匂わせる描写はありますが、
主題はあくまでも天才少年が耳と目で感じる淡く優しくセンシティブな世界なのがいい。

例えばコルシッドが親方にクビと言われた帰り道、土砂降りの中歩いてて楽器を落とす。
普通は「ここだ!ここで泣けー!」とお涙頂戴に力入れるシーンですが、心理描写もいちいちすべてアートなのです。
雨粒がポタリ、ポタリと楽器の弦を弾けば、たちまち自然が奏でる哀しみの音色になる。
おぉぉ何て可憐な表現だ。

★可憐な世界の可憐なロリータにドッキリ

そんな可憐でセンシティブな世界のヒロインが、心わしづかみにされない訳がないですね
って訳で本作品の最大の売りはやっぱり清楚なロリータ趣味だったりします。
とはいえふんわりポエム映画ですから、見え見えの「ロリータ狙いましたぁ!」じゃないけれど、ロリコン心をわしづかみにする仕掛けをほっこり癒し映像の隙間に忍ばせております。

例えばナデレーちゃんの衣装。
三つ編み+レース襟ブラウス+民族衣装って、思春期直前少女らしい清潔な色香を引き立てる最強の美少女ファッションじゃないですか。
「花びらで作った手作りマニキュア」がまた子どものプチおしゃれ感を演出してて、いじらしくて可愛らしい。
花弁の彩りのチョイスも実に絶妙。無垢な少女の白色と、女への脱皮を予兆させる紫がかった赤色のグラデーション。
たまんないすね。

さらに映画は隠しロリータまでちゃっかり装備。
主人公の盲目少年コルシッドを演じるタハミネー・ノルマトワちゃんは女の子だった。

まぁ街で素人少年をスカウトしたらたまたま偶然女の子だったかららしいし、確かに言われなきゃ男の子に見える。
含蓄ある頑固者親父を垣間見せる表情といい、切りっぱなし短髪にジャージの貧乏衣装といい、ナデレーちゃんのような美少女風情は皆無。
正直少女というよりただの子供なんだが、
思わぬところで「ん?これは…」とドッキリさせられる仕掛けがあるのです。

★ほのぼの映画の気になるドッキリ

ナデレーちゃんと川岸で遊ぶシーンで、コルシッドがナデレーちゃんの鏡を落としてしまう。
2つに割れた鏡の破片にそれぞれ映るふたりの顔。
ほのかな恋の芽生え?を予感させる小さな恋のメロディ的なほのぼのシーンですね。
なのに直後のシーンで、何気にいたいけな裸でぐったり寝ててドッキリ。
季節は晩秋だし川遊びしたって可能性は無い。
傍らのナデレーちゃんは裸じゃないが、ビミョーに物思わしげな風情だ。

ま、まさかっ?事後かっ!?
あるわけないよねー10歳だしー。
でも10歳は大人の男とみなされる地域もあるしなあ…

こーいう下種い事考えるからお前はエロ脳だロリコン脳だって疑われるんですね。すみません。
ちなみに裸シーンは何の説明もなく唐突に差し込まれ、何のエクスキューズも無く次のシーンへ移る。
一体なんなんだ。

他にも不思議なシーンはあって、
ラストの『運命』ダダダダーン演奏でコルシッドの服がずり落ちて上半身裸になる。
もちろんオチも説明も無し。
裸たって子供だし、撮り方もシチュエーションもエロチシズムを暗示する小道具とかの仕掛けは見られないんだが(と思う)…
少年でもドッキリ、少女だと知ると一層ドッキリ。
狙ってる?狙ってない?
裸から何を読み取ればいい?
実にビミョーでビミョーであります。

お芸術映画のイメージショットに意味を求めちゃいけない、とは重々承知だが気になる。
ロリコンなのかロリコンじゃないのか、境界線上で揺れる一瞬のエロチシズムに、狙ったエロよりどきまぎさせられるうめめちなのでした。

(了)
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